コヴィー博士が、200年間以上の成功に関する文献を調査して見つけた「成功の鍵」の2つのパターン。
1776年から約150年間の成功をテーマにした書籍では「人格的なこと」が成功の条件と記されているのに対し、第一次世界大戦後から最近の傾向は「表面的なこと」、個性や社会的にどう見られるか、が成功の要因とあげられるようになっているといいます。
7つの習慣で定義される「人格主義」と「個性主義」の違いを理解して、悩みや痛みを解消し、永続的な幸福・成功を得るための考え方を学びました。
個性主義と人格主義の違い
個人的にとても分かりやすいと思った例えが「一夜漬けの勉強」と「農場の法則」です。
農場の法則
農場で、種まきをせず、待っていても何も刈り取れません。そもそも春に種を蒔いてないわけですから、秋になったところで収穫はないのです。
春も夏も何もせず、秋に急に何かしたところで作物は実りません。手順を踏んで、段階を経ないと手には入らないわけです。ショートカットはできないのです。これが農場の法則です。
春に種を蒔いて、水やりをして、夏に雑草や害虫を取り除いたり手入れをして、初めて秋に収穫できるのです。つまりこれが人格主義というわけです。
成功を築くことだけに目を向け、成功を支える土台(土を耕したり種を巻いたり)を忘れていると、何も手に入らないか、少しだけ質の悪いものが手に入るかでしょう。または他人から借りたり、対価を払って入手しないといけないかもしれません。個性主義で得られる成功は安定的でもなければ継続的でもないということです。
一夜漬けの勉強
学校の勉強をコツコツ自らやってきましたか?
私の学生時代の勉強スタイルは、宿題だけはやる、試験前適当に勉強して怒られない程度の成績表でやり過ごす、というものでした。
まさに「一夜漬けで試験を乗り切る勉強」です。自ら進んで勉強なんてしていなかったと思います。
教科を理解して、知的好奇心を満たすとか、より高度なものを学びたいと思う意欲、そのようなものはなく、(親や学校から)怒られずに学校生活が終わってくれればいいと思っていました。
コヴィー博士は、人格主義を重視せず、テクニックで一時的に自分をよく見せる個性主義だけで成功しようとするのは、「一夜漬けの勉強」と似ていると例えました。
試験はなんとかなって良い成績は取れたとしても、教科をしっかりと習得できるわけではないので、教養のある人間にはなれない。…学生時代にこのことを理解していたかった、と今心底思います。
日々の積み重ねを無視して一時的にやり過ごす、知っているような顔はできても、本当には理解できてないし、実際は記憶にも残っていないから学びを役立てることもできないし、自ら学び取っていく習慣も身についていないわけです。
7つの習慣-人格主義とは
人格主義では成功の条件を、人間の内面にある人格的なこととしています。
成功の条件:人間の内面にある人格的なこと
誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律
基本的な原則を体得し、人格に取り入れ内面化させて初めて永続的な幸福を得られるという考え方です。
成功を支える土台に、「信頼」が不可欠だと考えられています。そしてその信頼を得るためには、自分自身の内面的な安定を育てる事が大事です。
周りの人からどう見られるかを気にするのではなく、1人の人間としての本来の価値を大切すると、人と比べての優劣を判断しようとしなくなり、優れた人格を愚直に身につけていくことで、徐々に自信を持つ事ができ、結果的に魅力的な人として見られるようになるという事だと考えられます。
結果的に得る事ができる社会的な高い評価は、周囲の期待に応えようとしたからではなく、本来の自分の姿を表現したから、後からついてくるものというわけです。
「アメリカ資本主義の育ての親」と呼ばれるベンジャミン・フランクリンの自叙伝『フランクリン自伝』を、コヴィー博士は圧巻と紹介しています。(人格主義に繋がる原則と習慣を内面化させる努力を続けた姿が綴られている)
科学者であるとともに出版業者、哲学者、経済学者、政治家、そして何よりもアメリカ資本主義の育ての親であったフランクリン(1706-90)。その半生の記録がここに淡々とつづられている。
7つの習慣-個性主義とは
成功の条件:個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすること
・自己PRのテクニック
・積極的な心構え
・即効性のある影響力のテクニック
・力を発揮する戦略
・コミュニケーションスキル
・ポジティブな姿勢
・個性を伸ばすこと
・他者に影響を及ぼす戦略
他人と比較して優劣を判断、世間の基準に照らして判断していると、あるがままを見ることができず、テクニックで目の前の現状を変えようとしてしまい、また上手くいかない事があれば落ち込み、悩みや苦しみから抜け出すのは難しいのです。
社会的評価を得ることが成功と考えるため、世間の目に映る自分の姿が気になって「見方」が歪んでしまうわけです。コヴィー博士自身も、学校や習い事で良い成果を出せない息子の子育てで悩んでいた時に、「良い親と見られたい」という歪んだ見方で子供を見ていたことに気づいた例を挙げています。
コヴィー博士は個性主義が間違っていると批判しているわけではなく、正しいし必要なものもあるとしています。
ただ個性主義の考え方を絶対的にメインにしてしまうと、人格主義のような長期的に身につける習慣を重要視せず、すぐできることだったり短期的な成功へ走ってしまうということだと考えます。
「第一の偉大さ、第二の偉大さ」とは
第一の偉大さ:優れた人格を持つこと
第二の偉大さ:才能に対する社会的な評価
個性主義の要素も成功には必要だが、第一の要素ではなく、あくまで二次的な要素としています。
個性主義だけで築いた「第二の偉大さ」は、一時的にはうまくいくことはあっても長続きしない。なぜならば「第一の偉大さ」優れた人格無しでは、信頼という土台がないので、いずれは相手の不信感を招くことになるのです。
感じている「痛み」に対してばんそうこうを貼ったり、痛み止めで紛らわすような応急処置は、その場しのぎのテクニックであり、根本にある慢性的な原因に対処しないと、いずれ化膿して再発してしまうのです。