なかなか変えられない親や大人に対する刷り込み – カウンセリング4回目

親や大人に対する思い込み-カウンセリング カウンセリングを受ける

自分で自分を許せない生きづらさから、自己嫌悪のループを断ち切りたく、心理療法士さんのちからを借りています。

生育歴を話しながら、自分との付き合い方を見つけるために過去を振り返っています。週に1回のカウンセラーさんとのセッション、4回目で親について話しました。

親に対する思い込み

基本的に親は尊敬しなくてはいけない、親は絶対的な存在で敬わないといけないと思ってきたところがあり、その思い込みと、自分の感情的には尊敬できない父親に腹立たしさを感じていました。ただ、私は母に対して不満はないと信じていました。母親は、優しくユーモアがあり誰にでも親切で、家族の世話によって自由はなく、犠牲ばかり払っている人だと思ってきました。

私の小さい頃の記憶はあやふやなので、母なら覚えているだろうと聞いたところ、覚えていないと言われ、そもそも私の記憶違いかもしれないので別にいいのですが、「ごめんね、頼りない母親で」と母が卑下したことに非常に悲しくなりました。以前にも、たまに「私はバカだから」と言うことがあり、同じように悲しかったことを思い出しました。

親や大人は尊敬すべき頼れる存在

私は両親に対して、正しさを求めすぎていて、親だって完璧ではないしただの人間であることは百も承知ですが、それでも親や年上の人は尊敬するものという刷り込みによって勝手に許せなかったり、期待して失望をし、勝手に混乱しているのかもしれません。

頼れる、なんでも自分より知ってる、絶対的で逆らうべきではない存在であると子どもの頃に思い込んできた親や大人。歳とっているからといって賢いとも限らないし、誰もパーフェクトじゃないことはわかっていますが、何か、プログラムされてしまった概念によって制限されているように思います。

自分の考え方には柔軟さがない

子どもがアホで大人がエライと考えるのは、あまりにも極端であり、そんなこた〜ない、とわかっています。でも、なんだかデフォルトで、今もそれが私の脳にあるような感じです。

それによって、大人なのにいつまでもエラくない私は情けない存在であり、そして、親として「あるべき」姿に当てはまらない自分の親を見るとがっかりしたり腹を立てたりしてしまう。自分の中にあるデフォルトで勝手に苦しんでいます。

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