生きづらい現状をなんとかしたく臨床心理士さんに相談をしています。自分の現在の難しさや、過去の話を聞いてもらうのですが、しょうもないと思っている自分の話をすることに何か意味があるのだろうか、いつまでもグチっているだけで変わらない自分を再確認するだけで情けない、と落ち込んでいました。
心理士さんに、私のしょうもない過去や情けない思いを話すことに何か意味があるのか、疑問を聞いてみました。
話すことに意味はあるのか?
前回のカウンセリングから2週間あけて7回目のセッションでした。これまでは生い立ちや今の自分に至るまでの経緯、家族についてなど話してきました。
私は個人的なことや過去のことについて話すのに特に抵抗はなく、聞かれたら嫌だ、答えたくないということは特段ありません。なので、質問されて特に困ることはなく、なんでも答えられます。
ですが、しょうもない自分のしょうもない話をすること、それになんの意味があるんでしょうか?という疑問、他人の貴重な時間をくだらない私の過去の話で費やしてしまった、という思いがずっとありました。
するとカウンセラーさんは、「話す」ということをした、ということ以上に意味づくりをしようとしなくていい、とおっしゃいました。丁寧に状況を話してカウンセラーと共同作業をしているということ、今のストレスを言葉にすること、それが大事なのだと。
意味づけをしようとしないで、「話した」で、ホールドして(そのままにして置いてみて)ください、と。なるほど、確かに私は、すぐに意味づけ(判断)しようとしているところがあります。意味のないことはしたくない、と。役に立つことをすべき、無駄なことはしたくないと思い過ぎているのかもしれません。
この話の時に「カタルシス 」という言葉を心理士さんが使われていて、意味を知らなかったので、調べてみました。
カタルシスとは
哲学および心理学において精神の「浄化」を意味する。カタルシスは代償行為によって得られる満足を指す心理学用語としても用いられる
つまり、話すこと、言葉にすること、または泣くなどの表現により、溜まっていたものを排出し、心の緊張がほぐれるということが、精神の浄化、つまりカタルシスだそうです。
自分が嫌だと思っている自分について話すことに、何か意味はあるのか?と思っていましたが、
- 抑圧されていた無意識的なものを意識化する
- 外部に表出させることで症状を消失させる
という意味があると理解しました。
「意味づけをしなくていい」の意味
今回、カウンセラーさんに「意味づけをしなくていい」と言われ、意味づけをしなくていいことなんてあるんだ、と新しい知見でした。かなり驚きでした。
「意味づけをしなくていい」というのは、自分が話していることが価値がないとか無意味な内容だとかジャッジしようとせず、話すこと自体に浄化作用があるから、それをする(言語化して自分の口から発して他人に聞いてもらう)ことに意味がある、と納得することができました。
私の過去や経験に価値があるかどうかに注視するのではなく、抑圧してきた思い、我慢や押し殺してきた感情を言語化すること自体が意味がある。そう理解して、すぐジャッジせずホールドするよう意識的にしてみました。
ネガティブなことを言語化する疑問
良いとか悪いとか判断せずに言葉にしてみることの「浄化」作用は理解できたつもりです。が、
今のストレスを言葉にすることは、現状のネガティブなものを見ることにフォーカスして、ますます良い部分を見れなくなったり、今のストレスのある状況を正当化したりする言い訳にならないんでしょうか?という新たな疑問が湧いてきました。
ストレスや不満を言ってはいけない、自分が現状を変えられないのは自分のせいで、努力や実行が足らないからで、言うべきではない、と考えて躊躇する部分があります。本音としては、不満を口にしたい。ただそれがネガティブ思考を強化してしまうのなら、やめないといけないけない?と考えてしまうので、次回のカウンセリング前のヒアリングシートで聞いてみました。