条件付きの自己肯定なら、条件を増やせばいい – カウンセリング15回目

条件付きの愛情は良くない、みたいなことをどこかで聞いた気がしますが、私は「〜〜できたら価値のある人間」と、条件付きの自己肯定をしているので、ダメだと思っていました。

カウンセラーさんに、条件付きの肯定をしてきた今までを否定するのではなく、条件を増やすと良いのでは、と教えてもらいました。

条件ありきで自己を肯定

自分はこんなにダメなところ、できないところがあり、とてもじゃないけど肯定できるような存在ではない、と思ってきたので、そんな風に「条件付きの自己肯定」をしている自分は間違っている!無条件に自分ラブになれないといけないのだーーー(なれない!)と、思っていました。

自分は正しい・正しくない、など、二分法で考えてしまうところがあり、そのために、自分が「あるべき姿」じゃないと、自分を否定して責めることに至っています。

私が自分に対して「条件ありきの肯定をしている」と言ったことに対し、カウンセラーさんがおっしゃられた「条件を増やす」という考え方は、衝撃的でした。

条件を増やす、幅を広げる

今までを否定するのではなく条件を増やす、幅を広げれば良いと。

ずっと私は、明るく前向きな人じゃないといけない、毎日早起きして運動して勉強して頑張っていないといけない、ゴールや目標があるべきだ、人の役に立つことができなければ自分には価値がないと思ってきたので、自己肯定も自己需要もできませんでした。そのようにダメな自分を受容できない、条件付きに自分を肯定している私は間違っているから、変えないといけないと、思っていました。

変えないといけない、と思うことは、これまでの自分を否定することになるから、難しいしツライ、なかなかできません。なので条件を増やすと言ってもらったのは、新しい視点で、それならばできるかも、と思えました。うれしかったです。

「分かり合えない部分」と「愛情」の仕分け作業

また、私が羨ましく思っている夫の寛容さ・腹を立てないおおらかさについて、生育の環境からの争いを避けること、引くことが彼なりの習得した処世術だったのかもしれないという仮説をカウンセラーさんが話してくださり、興味深かったです。

私は自分の親に対し、考え方が合わないと腹が立って、うんざりしたりしてしまい、「尊敬しなければならない」と思う反面、親を愛しているとは言いにくいものでした。

しかし相方は、保守的な考えを持つ両親と考え方が合わず、口論とは言わないまでも白熱した意見のぶつけ合いをすることがあります。それでも愛情を示せることに、すごい寛容だな〜なんて私は感心してしまうのですが。

カウンセラーさん曰く、「分かり合えない部分」と「愛情」の仕分け作業ができていて、うまく整理されているのかも、と。仕方ないと受け流せる、相手も自分も責めない、寛容さがあります。

そう言われると、私は、分かり合えないと切り捨てたくなる、愛情は示せないようなところがあります。

自分にはない概念を、カウンセラーさんが提示してくださり、非常にありがたいです。私にとって視野を広げてもらえますし、新たな視点をもらえます。

第三者から言われると、そうなんだ、と素直に聞くことができますし、すぐに理解できなかったとしても、示してもらったことを自分の中に置いておいて、時々考えることができます。

新たな考え方を学べて嬉しいです。ありがとうございました。

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