環境に影響されず、環境がどんな状態であっても、自主的に前向きに考え、行動していける自分を構築するには、どういう考え方を習得したほうがいいなどあるのでしょうか?カウンセラーさんに聞いてみました。
自分が感じたことを認める
◯◯した方がいいと頭ではわかってるのに、あれやこれやと理由を並べて言い訳して、やらないことを正当化してしまう。そして、やっぱりダメだ、こんなんじゃいけない、とやらなかった自分を責める。
私が「言い訳だ!」とブった切っている、私が感じることや環境について、「そう感じる自分がいるのは、もっともな反応だ」と思いますが、とカウンセラーさんがおっしゃいました。
自分が「そう感じる」こと、もっともだ、と認めることができてこなかったことがわかりました。感じること認める、書いたら簡単そうに見えますけど、なんと難しかったことか。
改めて自分の極端さ、白か黒か、正しさや「あるべき姿」に捉われていたことを再認識できました。
絶対に環境や他人のせいにしてはいけないわけではない?
カウンセラーさんが教えてくださった「誰のせいにするか」というお話、捉え方は絶対的な一択ではない、選べる、というのが興味深かったです。
心理学の中でも、誰のせいにして考えるかというのは、「全部自分の責任」と考える派や「どう考えても周りのせいなことは周りのせいと考えていい」と考える派といろいろあるそうです。
私はこれまで、自己肯定できないことや自分の現状は、自分の責任であって自分のせいだから、ぜっっっったいに環境や他人のせいなんて言ってはいけない、と思っていました。
全部自分のせいだから自分を変えてなんとかしなければならない、だと苦しく難しいところがあるので、一択ではなく、明らかに環境のせいや周りのせい、という部分はそれはそれとして置いといて、自分の責任の部分を再取り込みして考えるという捉え方もアリ、というお話でした。
確かに、自分でどうしようもない部分は「それらのせいだ」として捉えていいなら、そこはもうしょうがないから、できるところに目を向けようと言う気分になれるかもしれません。全部自分の責任だ!に固執すると沼から動けなくなります。
どこに軸を置くのか自分で選択する
どこに軸を置くのか。選択肢は?優先順位は?
今日カウンセラーさんに聞かれたこれらの問いは、私の問題がくっきりと浮かび上がって、目の前に明確にされた課題がドンと迫ってきて、つらかったです。
「主体的に自分の感覚を軸に置く」と言われ、そんなふうに考えたことなんてなかったなぁ、と愕然と言うか鈍い衝撃というか。
ここ4〜5年自分の軸がなかったこと、優先順位も選択肢もわからなくて、「〜〜するべき」ばかりがたくさん増え、軸を立てたつもりがすぐにグラグラで右往左往して、つらかったなぁと思いました。つらかった。
白か黒かの二択ではなく、やらない決断もできるし、内容を見直したり微調整しながら、自分にあった方法を見つけていく。この柔軟さを身につけていきたいと思いました。