悲しくないのに涙が止まらない、人との接触を避けて生きにくかった状態が酷すぎて、どうにかしないとこのままではしんどすぎる状況だったので、カウンセラーさんに月に1〜2回お世話になっています。
今回は、毎回初めましての人に会うたびに困っていたことと、最近の環境の変化から感じている疑問について聞いてみました。
①すごいと言われるのが嫌
自己紹介をするような初めましてな人たちと会うと、「すごいですねー」と言われて困ります。それは私の居住地が日本ではない、ということに反応して口にされる言葉なのですが。すごいと言われても、それは枕詞のようなもので、適当に言ってる言葉であり、いちいちそんなのに引っかからなければ良いのでしょうが、私は毎回困り、ずっと一人でモヤモヤして葛藤します。
親しい人たちからも、「褒められると嫌そうな顔するよね」と言われたことがあり、顔に出てるのもよくないし、どうにかしたいのです。
カウンセラーさんに、「褒められる→ありがとう〜と受け入れられない理由は何でしょうかね」と聞かれ、その理由は「私はすごくないし、他人が想定するカテゴリーは自分の現在と一致していないからです」と答えました。すごくないのに誤解されると困るのです。
私が思っている、他人が海外在住者に想定する”すごい”のカテゴリー
・現地の企業に勤めている人
・大学や大学院へ行くために移住した人
・駐在員として住んでいる人
・なにかやりたいこと、夢や目標があってがんばってる人
これらのどのカテゴリーに私は当てはまらないので、「違うんですー」となり、褒められようがすごいと言われようが受け入れられないのです。
「そうなんですよー、と流すこともできる、他の選択肢もあるのに、選べないのは何がそうさせるんでしょうね?」と言うカウンセラーさんの問いに、「誤解されたくない、想定されているカテゴリーに決め付けられたくない、わかってもらいたい」という願望があるのが私の答えです。
カウンセラーさんが「以前に比べて、自分自身に近いところが話せるようになって、想像しやすい、話が深まりやすくなりましたね。今これも褒められて嫌な気持ちになりましたか?」とおっしゃり、私は「それは私の話を聞いたうえでわかってくださって言われてることなので、そうですか、ありがとうございます」と受け取れますと言いました。
”すごい”のカテゴリーの価値観はどこからきたのか
「その価値観はどこからきたんでしょうね?」とよくカウンセラーさんから聞かれます。私があげた他人が海外在住者に想定する”すごい”のカテゴリーの価値観は、どこからきて、私はなぜそれを気にしているのか?
よくある話ではありますが、手に職がある人はすごい、何か肩書きがある人は社会的地位があるように見える。または自分の夢がはっきり言えて、目標に向かって進んでいる人はエライ。私は、何の手に職もなければ、何の肩書きもなく、何も「大したこと」をやっていない自分。
そして出会う海外在住の日本人の方は、皆さん専門職につかれていたり、技術職だったり、デザイナーだったり、ダンサーだったり、アーティストとして夢を追いかけていたり。
だから私はすごくないのです。
②幸せなことを口にしたくない葛藤
最近引っ越し環境が変わりました。当然ですが「新しいところどうですか〜?」と聞かれます。そして、答えに詰まります。つくづく、自分が屈折しているなと思うのですが、本当は様々なストレスから解放され「心の中で毎日小躍りしているくらい幸せです」なのですが、それが表現できません。あまり最初に調子に乗っていて、もう少し経ったらどうなってるのかわからないし、後から後悔するのが嫌だし、口にしたくないなと思うのです。
これに対し、カウンセラーさんがわかりやすく教えてくれたのが、
前の自分は経験済みであり慣れている、しかし、変化が起こった(環境が変わった)今の自分は、新しい状態で未知である。未知なものや未来は予測できないので、不安になるものである。そしてその不安に対処するために「表現しない」と言う選択肢を選んでいるのですね。と言われました。
なるほど、 未知なる不安に対処してるんですね、私。
まとめ
経験済みのことは慣れていて、新しい自分は予測できないので、未知に対して不安になるから表現をしないという対処をしていると理解できました。
人とのコミュニケーションにおいて、全てわかってもらおうとするのは無理であり、自分の欲求(誤解されたくない、わかってもらいたい)を処理するには、どういう対処法が取れるのか?相手がほめてくれることを受け取って否定しないようにするには、、、次回まで考えてみようと思います。