役に立たない無価値な自分、親の断ち切り方 – カウンセリング52回目

定期的に臨床心理士さんにお金を払ってお話しします。それを名詞で言うとカウンセリングです。

自己否定・自己嫌悪がひどく、生きにくさの甲冑を着て(戦もないのに)重たいなぁと思いながら生きてます。自分と勝手に戦ってるエア落武者です。他人と関わることに逃げてしまうこと、と、父親から来た「派遣」メッセージについて、臨床心理士さんに話してみました。

好意的に寄ってきてくれることに応えられない

相手の期待感が見えると、その期待に応えられなければ、向こうはがっかりするわけですから、私は困るのです。向こうが期待することに応えられない、私は他者の役に立たないから私は価値がない、と思っているのですが。

それで向こうが私を責めたり、がっかりだよ、と言ってることはまずありません。が、話が盛り上がらなくて期待感で輝いていた顔が曇っていく様子は見えるわけですから、あぁ、またせっかくの好意的な蝋燭の火を消してしまったな、と、残念な気持ちになります。そして、再び近寄ってくることはないわけですから、相手の期待に応えられなけれな、私には寄ってくる価値はないと何度も上書きされるわけです。

期待感が嫌だとよく言いますね、とカウンセラーさん。「向こうが期待すること=存在価値、というのはどこからきたんですか?」と訊かれました。

つまり、生まれた時はそんなこと思ってなかったわけで、幼い子供の頃は自己肯定感満載で楽観的に生きていたわけで、どこかでその自分が存在価値がないというのを学んだわけで、それはどこなのか?と。

さて、どこからきたのか?
わかりません。思い出せません。

ただ、人々が言う、いてくれるだけでいい、存在するだけで価値がある、ということは理解できます。優生思想(優秀でなければ排除されるべきだ)のようなことは言いません。思ってません。私も他の人々に対して、いてくれるだけでいいと感じますし、私が犬や動物を見れば、存在するだけでありがたく価値があると心底感じます。しかし、自分に対してはそれがどうしても思えなかったわけです。

そのため、人と関わることから逃げてしまいます。

自分を過信していて無能さを受け入れてないのかな、とも考えられ、無能さに直面するたび自分を恥じて、許せず。だから開き直っておおらかに振る舞えないのか。やはり捉え方が極端でいつも自分に腹を立て不機嫌なわけです。避ける以外の一択ではなく、もっと大らかに気軽に受け止められるようになりたいのです。

父の「派遣」メッセージ

父はLINEで何十人に一斉メッセージを乱発します。そのため、送られてくるメッセージが私に当てたものなのか、その他多数に送った転送なのかわからないから、もう返事しないようにしています。

返事したところで、返答はなく、一方的でやりとりにならないことが多く、あぁまた勝手に期待してしまった私が馬鹿だったとなります。ほとほと疲れるため、スルーしています。

先日、私が夜間救急に自分で行った時のことを母に伝えていたら、勘違いした母が父に「救急車で行った」と話ていたようで、父から「ワタシは少しづつ1人で生活でき始めているので、必要な時は母を介助とかに派遣します」とメッセージがきました。父は退院してから母の助けなしに生活できない状況が続いていましたが、だいぶ自立できるようになっているようです。

しかし、派遣って、母は紛争地帯に送り込まれる自衛隊か。そしてあなたは自衛隊を派遣できる総理ですか。

すごく腹が立ちました。母は、自分が行きたければ私のところに来ればいいのであって、あなたが派遣するとか所有物のようにコントロールするものではないと思ったからです。それを伝えようかと思いましたが、また絶望するだけだから、やめました。無視しました。

今は私は父に対して、返事しないことの選択肢のみですが、他にベターな選択肢があるのか、どうしたらいいのか、ずっと気にはなっていました。

この話をカウンセラーさんにすると、「相手にわからせたい、相手の発言を修正したい、けどどうせ伝わらないという絶望感があるんですね」「父の発言を聞くと、自分中心で、母を卑下しているように聞こえる」と。

それでも、子は親に対してなかなか、関わりを断ち切れない、引力があるから、自分なりに断ち切る方法、道を見出すことができることだ、とおっしゃいました。

なかなか断ち切り方を見つけるのに苦労をする人は多いと。具体的にどんなふうに断ち切り方を見つけていった人たちがいるのか、聞いてみたら、自分の家族を作ってそちらに気を向けたり、家族でなくても自分が注力できることに意識を向けて、断ち切っていく、など。

私は何に気を向けたらいいのやら。

タイトルとURLをコピーしました