怒りは自己主張であり抑圧すると不機嫌な人になる – カウンセリング57

大きな主題はなかったので、前回から今回までに気づいたことを話しました。真剣に捉えすぎると消耗する、怒りの処理について、同じことを話していても人と目的が異なる場合がある、の3つについてです。

もう少しドライに捉える

入院を機に、父からのみんなへの一方的な怪文書のようなメッセージを送られてくることについて、退院した今もそれを受け取っている私の友人に、「私は転送メッセージを見るのは嫌だ」と父に伝えてから届いていない、と言ったところ「配信停止したんだね」「あれはメルマガだからね」との返し。

あれはメルマガなのか。それを聞いてから、だったら一方的に言いたいことを垂れ流してても仕方ないな、と少し感情的になる気が失せました。メルマガって、的を得た表現だなと笑っちゃうくらいでした。

このことがあって、以前にカウンセラーさんから「他の人たちはもっとドライに捉えているのかも」と言われてたことが、もしかしてこういうことなのかな、と思いました。そして、たびたび身近な人物(母や相方)に言われてきたこと、「まじめだから」「すぐ真剣に受け取りすぎる」「大げさだ」という意味も、こういうことなのかなと思いました。

「まさにそういう事です」と少し笑顔でカウンセラーさん。そして「笑っちゃうくらい」と言えることが大事と。

しかし他の人たちは家族ではないから軽く受け流せても、家族にはそうはいかないものでは?という思いもまだある。

その思いに関する、別の友人の話。その友人は今両親が入院中で、それぞれ無茶苦茶なことを言って、病院の職員さんたちを困らせているそうで、そのやらかしている出来事を聞いて、私は思わず笑っちゃったのです。あまりにも私の父が病院でやらかしてたエピソードと重なる部分があり。笑っちゃったあとで、でもこれって渦中にいる人には本当にしんどくて疲弊することなんだよな、と。

「外から見てると笑えるけど、渦中はつらい、笑えない。」とカウンセラーさん。でも、「またこのパターンだ、と自分の大事なエネルギーを消耗している、と気付けるようになることが大事」だと。

あまり私が父のことで腹を立てて繰り返し言うと、「同じところにずっと引っかかっている」と相方に言われた、繰り返し怒りをあらわにすると相方も具合が悪くなってしまうし、とカウンセラーさんに話すと、「そこはもう少し(相方に)お付き合いいただきましょう」と「底つき体験」の説明をしてくれました。繰り返し同じことへの不満を口にするのは「依存症の底つき体験」のように「また自分この話をしている、もうやめたい」「本当にやめなきゃ」と底をつくことがあると。すると依存症では、本人が現実を受け入れ、変化が生まれるようになるみたいです。

怒りと不機嫌の違い

底つき体験まで、もうしばらく私が腹を立てて繰り返し言うとなると、あまり歓迎できるものではない気がします。私はできればいつも機嫌がいい人でいたい、不機嫌な人になりたくない、という話をすると、「怒るのと不機嫌の違いはなんでしょうか?」とカウンセラーさん。

私は「不機嫌は慢性的で、怒るのは単発的な反応?」と答えました。カウンセラーさんは「怒りには明確な対象があります。怒りは自己主張で、何か言いたいことを表現しています。怒りを発散させないまま抑えると、我慢になり、慢性的な不機嫌につながる。だから怒りは、何を言いたいのか、何がトリガーになっているのか見つけることが大事。説明できるようになるといい」と教えてくださいました。

私は最近、ちょこちょこ頭に血が昇り血管がピキピキすることがあったので、「何がトリガーになっているのか」を聞いた時、思い当たる節がありました。カチンとくるのは、馬鹿にされたような、見下されたように感じた時で、私は吠え返すか、断ち切って離れる態度を取ります(後からもうちょっとマシな対応はできなかったかと後悔もします)。

怒りが何の主張なのかわかるようになったら、怒りを発散させられるんでしょうか?とカウンセラーさんに尋ねると、「ドラマでも映画でも小説でもなんでも良いんですけど、どんなふうに怒りを表現したら、私らしいのか、マネをしていくといいですね」と教えてくれました。

相手と自分は目的が違う

私は適当なことが言えない、端的に簡潔に相手が納得する答えが言えない人間で、雑談であいさつ程度に聞かれたことに程よく答えることが下手です。そのため、以前、相方の親に「お父さんはどう?」と聞かれ、「(連絡とっていないから)知らない」と答えてしまい、相方から「正直に答えてるつもりだろうけど、そんな答え方したら相手は喋りたくないのかと思うから、元気〜とか適当に言ったほうがいい」と言われてしまったことがあり。でもそれは嘘になるから嫌だなぁと思ってました。

そして先日また、「お父さんどう?」と聞かれ、良い悪いの2択で答えなくても良いからグレーで答えよう、と思い「良くもあり悪くもある」と私は言いました。絶妙な折衷回答をしたつもりだったのですが、「どういう意味?」と聞き返されてしまい、それ以上説明しても私の言語能力ではわかってもらえず、相方が解説するはめに。すると後から、相方に「前にも言ったよね、元気、ありがとう、って答えて終わらせれば良いって」と言われ、私は「私は自分なりの言葉で喋ってみようと思ったけど、口をひらけば不適切なことを言ってしまうみたいだから、黙っていたほうがいい」と言い返し。相方はその場を離れて、しばらくすると戻ってきて「シンプルにやり過ごせば君にとってラクだろうと思ってたけど、自分の言いたいように言ったらいいよ」と謝りにきました。

そこで思い出したのがカウンセラーさんが言っていた、同じ話をしているようでも「目的が違う」という説明。つまり、相方は挨拶みたいなもんだから話を簡単に済ませておけばいい、喋れない私が頭を抱えないように、というのが彼の目的。私の目的は、嘘がなく真実を答えたい、でも言語がうまく喋れない、でも喋らなきゃ。というように、なぜそれをそうした方が良い、と考えているか、目的が違ったわけでした。

まとめ

笑えるくらい、少し引いて見て、あまり真剣に捉えすぎないこと、大ごとに捉えすぎて無駄に消耗しないようすることを、知っておくことなのかなと解釈しました。

怒りは明確な対象があり、何を主張しているのか見つける。自分の中で生じていること、どんな思いが自分の中でかけめぐっているのかなど言葉にする。どんなふうに怒りを表現するのが自分的にいいなと思えるか、探してみて、真似る。

相手と自分は、同じ話をしているようでも、目的が違う場合がある。どちらが正しい間違ってるではなく、相手の目的と自分の目的を知ろうとしてみる。

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