クララとお日さま(原題 Klara and the Sun)のあらすじ&感想

2021年に出版されたカズオイシグロの小説『Klara and the Sun』を発売されて間もなく買ったまま、なかなか気が向かなかったり言い訳をこねつつ読み進めることができず、2023年末から2024年始にようやく読みました。この本を買った当時、自分はベルリンに住んでいたのですがドイツ語がわずかにしかできなかったため英語の本を見ると、あぁ読める言語がある、、、となんとなく嬉しくなって買ってしまっていたのでした(そのくせ読まなかった)。

日本では『クララとお日さま』という題名のようです。カズオイシグロさんは英国の人ですから英語版が原書になります。英語がお世辞にも流暢とは言えない自分が、わからない単語は気が向けば調べたり(大いに読み飛ばしたり)しながら読んでも楽しめたので、英語の難易度はそこまで高くなく、学生にも向いているのでは、なんて思ったり。でも知らない単語をちょいちょい見て見ぬ振りしたので、わたしのトータルの理解は怪しいかも知れません。

さて、『クララとお日さま』の結末をネタバレしない程度にあらすじを要約しますと、クララはAFとしてお店で売られていて、AFとはArtificial Friend、日本語版でどのように訳されているのかわたしは知らないのですが、AIフレンド、人工友達、人工親友?つまり、子どもと一緒にいる友達の存在として、親が購入するAI搭載の友だちロボットといったところの存在です。AFは毎年新作が話題になるiphoneのように、最新は高性能で高価、型落ちは少し安いけどあの機能がついていない、みたいに売られているのです。

物語はクララの視点で書かれていて、クララから見える人間たち、クララを買った少女(買ったのは母親ですが)、その家族や友達たちとの関わりが描かれているお話しです。英語版の背表紙には ”what does it mean to love?”と書かれています。AFであるクララは、少女へ絶対的な愛情を注ぐ訳ですが、人間たちにはそこまでできるのか?というような純真さを見せます。人間は、状況が変われば、時間が経ってしまえば、同じままではいられないことも多々あるでしょうから、むしろ同じままでいることの方が稀有ではないでしょうか。

一昔前の、AI以前のロボットのイメージとクララが異なるのは、昔だったらロボットだから感情はわからない、人間とは違う、というのがはっきりしていましたが、クララは人間を観察することで表情や細微な動きを会得できる。AIは学習し続けて賢くなり続ける訳ですから、となると、感情もデータが集まれば理解していくことができるのか?

正直、最初は話の進みがスローに感じてつまらないような気もして、またわたしがロボットとかファンタジーとか得意でもないため、なんとなくありきたりな話題のようにも感じたのですが、だんだんおもしろくなって止められなくなりました。中盤で一回、「え?えー?」と声が漏れて、二度読みしました。

読み終えて色々細部を思い出しながら考えていると、色々気になって、なんと言語化していいのか、よくわからなくなります。それはおそらくわたしがAIについて詳しくないから語れない部分もありますし、物語ではさらっと読みやすく描かれていた部分も、表面上で語られる内容よりも複雑な意味を含めていたのかと思います。

人間が人間たらしめるものは何か、とか、人の関係の暖かさや難しさ、こどもの残酷さ、AIって?などなど色々考えたくなるテーマでした。でも重たすぎではなく、クララの独特で率直な表現がプッと笑える部分もあったりします。

ググっていたらこの本『クララとお日さま』に関する論文もあったので、なんの学術的な考察や評価がされているのか、ちょっと後で読んでみたいなと思いました。どうやら映画化の話も出ているようです。

『クララとお日さま』は、単行本が出ていて、kindleもオーディオブックもあります。

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