心理療法士さんにお世話になっている理由の一つに、すぐ涙が出てしまうのをどうにかしたいというのがあります。それに加えて、怒りの感情コントロールができずに困ったなと感じることがあり、それについて相談してみました。
3つの自分の存在について教えてもらいました。
コントロールできない怒り
自分は普段から活発に発言したり感情豊かな方ではないのですが、時にカチンと来ることがあると、頭に血が上るのを感じて、それこそプルプル震える手で机を拳で叩きながら声を荒げるようなかっこう悪いことをしてしまいます。時間が経つと、反省して、そんな対応しかできなかった自分を情けなく思うわけですが。
一方で同じ場面にいる夫は、至って冷静で言うことなり、できることをやってみて、それ以上どうにもならないとわかると諦めて、あっさり次の行動へ移ります。悔やまないし、相手も自分も責めたりする様子はありません。1人でカッカしている自分が本当にアホだなと、なんで怒らずスルーして前に進めないのだろうと恥ずかしく思います。
がんばっていると認めることができない
もう一つ、カウンセラーさんに話した現状で、「いやだけど、やらないといけないと思っている、けど、結局思うようにはできてないこと」があり、その思うようにできていない現状を目の当たりにすると、できていない自分への後悔が押し寄せてきて、情けなくて涙を止めることができないことがあります。
カウンセラーさんに言われたことは、「一度やめたことを再開してみただけでもがんばってるね〜」とか、何か労ってあげるような言葉を言える存在が自分の中にないか?と聞かれました。
正直なところ、がんばっていると思っていないので、無理やりポジティブなことを言うのは難しいと私は答えました。
カウンセラーさんに、私の中に「ケアする私」の欠如について教えてもらいました。
ケアする私がいない
感情的になる私は、それくらい表現しないといけない思いを抱えてるそうです。カウンセラーさん曰く。
そして、その感情的な私①に対し、
状況判断して解決や改善策を考えようとする冷静な私②
「そんなんじゃいけない!しっかりしなきゃ」と叱咤激励する私③
が存在しているものの、「大丈夫だよ〜がんばってるよ〜」と言ってあげるケアする私がいないと指摘されました。
自我は三つの自分があるんです、と、説明されたんですが、その時には理解しきれなかったので、改めて調べてみました。
3つの自我状態
3つの自我について調べると、2つ情報が出てきました。
カナダ出身の精神科医エリック・バーンの交流分析における「3つの自我状態」
- 子ども – 感情を表現する / 顔色を伺い感情を抑圧する(2種類)
- 大人 – 冷静で客観的に現状分析して解決策を考える
- 親 – 常識やルールを守る「〜すべき!」 / 共感や思いやりを示し、褒めたりねぎらう(2種類)
オーストリア出身の精神科医フロイトによる精神分析学の心の三層構造
- 「エス」 – 本能的な欲求や生理的な衝動。
- 「自我」- 葛藤を調整する役割。経験の中で、エスの一領域に「自我」が形成されていく。現実を正しく認知する。
- 「超自我」- ルールや道徳観、善悪の判断を行う、理性。両親の言動から感じ取った個人的・社会的価値の取り入れ。
どちらのことをカウンセラーさんが言っておられたのかは定かではないのですが、おそらく前者の3つの自我状態のお話だったのではないかと思います。
そして私には、「〜すべき」ばかりで、共感や思いやりを示し、褒めたりねぎらう存在がない、ということを教えてくださってたんだとわかります。自分を監督して批判、責めるばかりで、バランスが悪いということが理解できました。
感情をコントロールできるようになるには
泣くのも怒るのも疲れるわけで、自分が感情的になった時に冷静になりたいのです。
冷静なしっかりしている自分(=目指したい姿)が機能するために、ケアする私(ケアラー)を自分のやれる形でできるよう、方法を探した方が良いそうです。カウンセラーさんには、過去に誰でもいいんですが、優しい言葉をかけてもらったな、とか、褒めてくれたり認めてくれるような言葉を言ってくれた人(例えば、祖父母、先生や近所の人など、誰でもいい)いませんか?と聞かれましたが、パッと思いつきませんでした。
今の私は、自分を、がんばってるね〜というのは無理やり嘘を言っている感じがして言えないので、誰か他人の良いなと思う姿(モデル)を取り入れるなど、自分なりのやり方を探してみる、ということをアドバイスしてもらいました。
自分の中にモデルを作って、思い浮かべることができると、モデルを思い浮かべる時には知性を使うので、感情が落ち着いてくるそうです。感情的になった時に行動をチョイスできるようになる、と教えてもらったので「ケアする私」を私の中で増大させられるように意識してみたいと思います。