自分を「価値下げ」極端で不寛容な価値観 – カウンセリング20回目

先日「幸せにつながる欲求や価値観」についての話を聞いてワークをする機会があり、自分の喜びも、好き、楽しいことも言語化できず、自分の幸せについて考えるワークの最中に辛すぎて涙が止まらず、その後もぐったりしました笑

自分がこんなにもダメージを受けるとは思ってもおらず、凹みました。

何がそんなに難しいのかわからない

自分がなぜ泣くような気持ちになっているのかわからず。なぜ、そんなに自分の価値観や感情について考えることが難しいのか。

そして、またこんな所でつまずいているのか、と思うとしんどい気持ちになりました。

涙が出るという感情に対して、私は理由を理解して言語化できないといけないと思っているのですが、「なぜ?」と聞かれると、答えないといけないわけですから。わからないままでは人を困らせるので。

カウンセラーさんの言葉

・自分が何を大切にしているのか?
・わからない、選べない→クリアに言えなくても、自然なのでは?
・自分の感情にアクセスする
・感情的な刺激が起きたときに、感情を感じてみる
・認識がネガティブに偏っている
・自分を「価値下げ」する傾向があるので気づく練習を
・自分に対する決めつけ←本当にそうなのか?検討の余地はある
・自分の中の独裁者が喋っている。平民の声を聞いてあげて

自分を判断、評価している

自分が価値がないものとして見下す傾向がある「価値下げ」する傾向があるとカウンセラーさんに指摘されました。

価値下げ」について調べてみると、
・自己を否定的性質のせいにすることで葛藤やストレスに対処する防衛
・極端で不寛容な価値観
・お前なんて価値が無い、頭も悪い、能力もない、と価値を下げる
などと出てきました。

とっても思い当たる節がありありです。何もできない、誇れることがない自分にガッカリして疲れるので、価値がないと思っています。それが対処法となっているのだとわかります。褒められても受け入れられないし、不快です。自分がうんこ(価値のない存在)だと思っていれば、それ以上下がることがないわけで、できなくても仕方がない、社会不適合でも友達がいなくても、仕方がないと思えるので。

通常の価値下げの定義は、相手に対して理想を抱いて期待して、思っていたのと違った、となったときの処理として相手を価値下げする、というのが通常のようなのですが。私の場合は、自分で自分を価値下げしています。

なぜ価値下げするのか?という理由が書かれていたので参考に。

①価値が無いと思っておいた方が怖くない、攻撃されてもたいしたことない、という風にしておきたい

②相手が自分を救ってくれると思っていたのにそうではなかったという「がっかり感」や、相手を見る目がなかったという自分への批判的な感情などが生じますが、それを抱えてはおれないので、未練を断ち切るように価値が無かったとする

参照:原始的理想化と原始的投影と価値下げ

極端で、やばいやつ、ってことです。

以前に、「意味づけをしない」ようにカウンセラーさんに教えてもらいましたが、またあれこれジャッジしようとして、自分で嫌な気分に落ちているのでしょうか。

また自分の感情を判断せずに味わうよう意識してみます。

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