褒められると困る。相手に私は大したことのない人間である、というのをわかってもらわないといけない、でも端的に伝わるように表現できない、という葛藤があります。それゆえに、自己紹介が苦手です。毎回滑ります。
新しい人に会うたびに、つまづかなくても良いであろう最初でいつも苦しむので、どう考えたらいいのか、カウンセラーさんに聞いてみました。
わかってもらえないことをまだ諦めきれない
初対面で自分をわかってもらえないのは仕方ない。誤解されても諦めるしかない。また2回目3回目と会う機会があれば、わかって貰えばいい。と、知人の方から経験談をアドバイスいただきました。
そうか、そういうもの(わかってもらえないもの)で、仕方なくて、諦めるしかないのだなと、頭では理解できます。しかし、まだ私の中では諦められない感覚が残っています。
なぜ誤解して欲しくないのか?
嫌々演じていた自分を信頼してくれた人に対して、非常に大きな罪悪感があるからです。会社勤めの中で、社会人として仕事に適応する別人格を演じないとやっていけなかったので、嘘で塗り固めた社交的な自分で働いていました。その間に私を信頼してくれた顧客さんたちには、騙していたような申し訳ない気持ちがいっぱいあります。送別品を頂いたり、移動した先にも会いに来てくださったり、わざわざ私のために時間もお金も使わせたこと、何より信頼されていたことに罪悪感しかありませんでした。
相手がそう受け取ったのなら良いのではないか?
カウンセラーさんには、その人たちが私によくしてもらって信頼をしているのは、その人たちがそう受け取ったことであり、良いのではないか?と言われました。
たしかに相手がどうするかは相手の自由です。私も相手にわからせようと、今から説明する気はさらさらありませんが、騙しているという罪悪感に、私が耐えられないのです。
相手がどう受け取るかはコントロールができない
相手の気持ちは相手の自由であり、相手にわからせようと行動を強いるつもりはないです。私の耐えられない状態は、極端と言われても仕方ないのはうっすらわかります。
私は相手を誤解させていると言うのは、私の説明が悪かったからだと思っています。相手に分かってもらえないのは、わかってもらえるような言い方ができていないから、わからない相手が悪いのではなくて、説明している方が分かりやすい言葉で伝えられてないのが問題であると考えています。
カウンセラーさんは、何か専門的な難しい話をするならそうかもしれませんが、極端ですね、と(やはり)。
誤解されると困る経験はどこから来たのか?
演じた状態で誤解されることに、困った経験が、もっと他に、家族とかであったのか?という問いを投げかけられました。家族では思い出せることが今はありませんが、そもそもそんなにコミュニケーションが豊かな家族ではないので。ただ、思い当たることは異性関係であります。
親で満たされなかった私のこじれた愛着が、歪んだ形で交際相手に対して出ていました。私のことを良いと言ってくれて親密になった人が、「思ったのと違った」となって、離れていくことがありました。最初に彼らが見る私は、明るく社交的でしっかりしている感じの、仕事で演じている私のような状態で。しかし私がこのスイッチを切って通常状態になると、暗くウジウジしている、全く前向きでも楽しい感じの人間ではないのです。
なので、本当の自分の状態では好かれない、受け入れてもらえない、一緒にいたいと思われない、ということを学びました。それゆえに、私は、誤解させてはいけない、相手に高い期待をされると、後から現実がわかって下がるとがっかりされるから、がっかりされることを避けるために、最初に私の「価値下げ」をしておかなくてはならない、と思っているのです。
ある意味トラウマティックな経験となって、期待値を下げるようにしている理由があるのですね、とカウンセラーさんに言われました。そして、「思っていたのと違った」となった経験と、お客さんに信頼されてまた会いに来られて罪悪感を感じるという気持ちが直結しているんですね、と少し不思議そうにコメントされました。
自分にとっては演じた外向きの自分で好かれてしまった、ということが同じなのです。変な解釈なのかもしれませんが。
これらの後悔があり、誤解されてはいけない、嘘はいけない、正直に出さないといけないという思いが強くあるわけです。しかし、正直に出したほうがいいこと、出さなくて良いことの選択がよくわからない、調整が効かないという問題があります。
優先順位は?
カウンセラーさんに、わかって欲しいと言っても実質全ては無理なわけであって、優先順位は何でしょうか?どれがいちばんわかってもらわないと困るでしょうか?と質問されました。
私の居住地のことをポジティブな理由に受け止められるのが困ると答えました。キャリアのためでも高度な勉学のためでもなかったし、バックパッカーのように「世界を見てみたい」とかもなかったし、前向きに何かを叶えたい理由で海外に出たと思われることが一番困ると答えました。
美化されることに窒息しそうになる
相手はお世辞もあるし、人は聞いたこと美化して受け取るもの、よく捉えようとするものですからね。と、カウンセラーさん。なのに、それに対して、私が窒息しそうになるから「違うんですよー!」と相手に下がらせて(押しのけて)息が出来るように距離を開けようとしているのだと。非常にその通りです。
客観的に俯瞰できるようになる練習を
感情に押しつぶされそうに、窒息しそうになる自分を気づいて、俯瞰するように練習してみましょう。
ドラマや映画を見ていても共感しすぎると、のめり込んでしまって、感情的になりますよね、でも「ふーん」冷めた感じで見ることもできるわけで、選択はいろいろあります。そう感じる自分の感情があるのは仕方がない、でも立ち位置を変えて俯瞰して見る、ことで客観的に見る感覚がわかるようになるかもしれません。(カウンセラーさん)
相手に分かってもらえないことの対処でわかったこと
自分を客観視してみよう、みたいな言葉はよく聞くわけですが、自分が自分をクソだと思っている段階で、クソと思わずに「ニュートラルに私を見る」ということは至難の技と言いますか、どうやったらそんなことできるのか、これまでわかりませんでした。
まだうまく言語化はできませんが、今回のカウンセラーさんの説明を聞いて、「そう感じる自分の感情があるのは仕方がない」としたうえで、今自分ってこういう状況なんだなぁと、距離を取ろうとするのは理解できそうな気がしています。