この人はこういう人だと定義づけて何も期待しない – カウンセリング26

発達障害のASDとADHD カウンセリングを受ける

カウンセラーさんに、私の父の行動が発達障害のASDとADHDにあたる特徴だと前回のカウンセリングで教えてもらいました。脳の構造だから仕方ない、とは言われても、じゃぁ家族は、裸の王様に対して我慢するしかないのか?と、私がどうしたらいいのか落とし所がよくわからなくなりました。

裸の王様に対して我慢するしかないのか?

前回、心理士さんにそれは脳の構造上仕方のなく、本人は認識していなくて、周囲からの援助も受け入れない、と聞いて、特性は変わらないとなると、じゃぁ、父はやりたい放題、裸の王様ですか?こちらは我慢して、苦虫をつぶすような母の顔を一生見続けるの?

父のモノへの執着を許容して、一緒に住む家族は死ぬまでぐちゃぐちゃの中で暮らさないといけないのか?と茫然としました。

カウンセラーさん曰く、父のような発達障害の人の特徴は、目で見えるところにモノを置いておきたいので、しまうことができない、バーっと並べる。そして捨てられないそうです。まさに、そうです。

気にする人と気にしてない人

カウンセラーさんは、父の発達障害(ASDとADHD)の特性は、ただそうなっているだけで、悪気はなく、自分のペースでやりたいだけであり、それに対してこっちは応える必要はない、というようなことをおっしゃいました。

しかし、応える必要はないと言っても、同じ家の中で片方は気にせず好き勝手やって、気にしている他方が放置すれば、それは好き勝手している人の独占場になるのではないか。

家族はそれぞれ主張を通したい、お互い相手にわからせたいから、難しい。

夫婦関係は複雑である

私の視点が、父は悪い人であり責めやすいかもしれないが、他に見え方はないだろうか?とカウンセラーさんに言われました。

母に対しては、良い人でありかわいそうな人だという見方以外に他にないだろうか?良い人だけど、子供のおもいをないがしろにしたとかないですか?と。

即答できませんでした。

裸の王様に対応できる友人もいる

3〜4年ぶりに帰省して、父が友人たちと話しているの場に何度か一緒になったのですが、驚いたのはキツイものの言い方をしたり自分勝手な行動をとる私の父に対して、友人たちはムッとするでもなく臆するでもなく、対応しているのです。家族とは違う接し方を友人の方たちができているのを見て、そういう可能性もあるのか〜と思う反面、友人たちはたまに会うだけで、ず〜〜〜〜っと一緒にいるわけではないので、まぁ家族とは違うよなぁとも思い。

カウンセラーさんに、この友人たちの対応について話してみると「この人はこういう人だと定義づけている」「理解していて、何も期待していない」からそういう受け流しができるのかもしれないですね、とおっしゃいました。やっぱり家族はマシなコミュニケーションが取れるようになりたいと期待してしまうからツライのか。

知識として理解できたら変わるのか

私にとって意味のわからない父の振る舞いに対し、“そういうものだ”と理解できるようになれたら、私の受け止め方も変わるのかなとは思います。親であれど他人なので、人の人生について、気にしない、放っておくと考えられると、楽になるのかなとは思います。

ただ、まだ、子の立場として納得できない不満が消化不良で留まってます。自分が親から受けた躾けや教育に、父親の行動が伴っていないと、腹が立ってきたこと、私は親に言われたことを守ってきたり、ルールに従ってきたつもりなのに、父親自身が見本となるような状態じゃないことに、不合理さを感じて、不満に思っていた部分があると思います。

満たされなかった愛着がいつまーーーでも、くすぶってるんですね。やれやれ人間の脳は厄介なものです。

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