理由が分からない気分の落ち込みが繰り返し続く・涙が出る、の対処法 – カウンセリング27

理由が分からない気分の落ち込みが繰り返し続く・抜け出せず涙が出る カウンセリングを受ける

理由もわからず憂鬱な気分から抜け出せず、度々しんどくなり、泣きたくもないのに涙が出る、こんな自分にうんざりだぜ!ということで、

①度々理由なく落ち込むのをやめたい②人との会話ですぐ泣くのをやめたい、という課題を抱えてカウンセラーさんと話をしてみました。

繰り返し、ひどく気分が沈むが理由がわからない

繰り返し、ひどく気分が沈むが理由がわからない365日毎日続くわけでも、きっちりと定期的な波があるわけではないですが、度々、ひどく気分が落ち込み、憂鬱な気分から抜け出せずにしんどい時があります。多少生活に支障をきたしています。

生理前に多いように感じたためPMSかなとも思い、何年も婦人科のお世話になってたこともありますが、結局のところ因果関係は定かではありません。生理後にはケロっとするような気がしますが、自己暗示のような気もして、正直、わかりません。

何か特別な出来事があって気分が沈むというわけでもないので、理由が分かりませんが、自分が全く無能でどこにも向かえていないように感じ、何の望みもなく、何を何のためにやっているのか、なぜ行き止まりに感じるのかもわからないので、ぐったりします。

泣くようなことではないのに涙が出ると自責で腹が立つ

気分の沈みの理由がわからない

一緒に暮らしている優しい相方は、私の気分の落ち込みが目に見えるので、心配していろいろ話しかけたり質問してくれます。しかし、私は自分でも気分の沈みの理由がわからないので、言語化できず話が進みません。

「なぜ?」と聞かれると、相手が責めていないのは分かっていても、責められているように感じて、「ほんとに何でだろうね、誰のせいでもないのにね、事態を改善できない自分が悪いね」と自責で頭がいっぱいになり、涙が出ます。

質問している方は、回答が得られない上に、泣かれるともう話が続けられないから黙るしかないわけで、いつも同じ堂々巡りであり、会話にならない不満が残って我慢が積もるばかりです。

そして私は、ああ〜またやってしまった。またここか。と自分にうんざり、腹が立ちます。

カウンセリングで話した解決したい点は2つ

・度々理由なく落ち込むのをやめたい
・人との会話ですぐ泣くのをやめたい

この繰り返しの状況をどうにかしたいため、臨床心理士さんにセッションをお願いしました。

カウンセラーさんとの話

落ち込む・泣くという繰り返される行動は、『やめたくてもやめられない行動』であり、表現方法の一つとも考えられる、とカウンセラーさん。

私が人前で泣くと、他人は、「泣いてもいいんだよ〜。感情表現だよ〜。スッキリするよ〜」など優しい言葉をくださるのですが、私としては、泣いても何も変わらないわけで、自分に腹が立つ&ガッカリ感、スッキリもしないし、むしろ頭痛や疲れで身体的不調が残り、その後の行動パフォーマンスに悪影響しかないので、イヤなのです。

やめたい行動の代替行動は?

すると、「泣かないことの代替行動は何でしょうか?黙って居るだけともいかないと思いますが?」と聞かれました。私は、泣かずに何かしら言語化して言えれば良い、と答えました。しかし、今は小手先で適当に質問を質問返ししたり、話をはぐらかしたり、「できてない私が悪い」と話を断ち切ってしまっています。それでは、相手は納得しません。質問を質問で返すな、と怒られたりします。

泣かないなら、代替行動は?

相手は、私の自責を聞きたいわけではないので、感情を乗せずに、伝えれば良いだけ、それが代替行動だと思いました。

今の私は、
現状や過去について聞かれる→後悔や自責が噴出して頭がいっぱいになる
これから先(未来)のことを聞かれる→今が何もできてないから未来について考えられず、不甲斐ない自分が許せず、腹が立つ

この「自分許せない」感情の渦に頭が停止して、言葉が出ず、涙が出ます。

勝手に頭の中が拷問部屋になってる私ですが、相手はそんなことを聞きたいわけではないので、その感情は乗せずに、過去や現状を聞かれたら事実を説明すれば良く、先のことであれば考えを言葉にできれば良い、それが泣かない代替行動だと考えました。

そこにある自分を抱えながら許せない矛盾

自責の念は説明せず、相手に聞かれたことを答えれば良いだけなのに、自責を説明せずにいられない自分が居るのを抱えていて、自分を許せない

「こういう自分があるのを認識している、でも、許せない、というのは?自分を許してしまうとどうなるのでしょうか?」とカウンセラーさん。

“こうあるべきだ”と思っていることができない自分を許してしまうと、やるべきことをやらなくてもOKとなってしまう、となると、それで良いのか?という疑問があります。例えば、仕事を変えたいのに行動していない自分、現地の言語を習得した方が良いのにやってない自分、やりたいことをやれば良いのに結局やってない自分、それらを許してしまうと“やらないままの自分で良いのだ”となると、ダメじゃない?私絶望的じゃない?何も改善しなくない?という疑問があり、よくわかりません。

私がよくわからなくなっているとセッション時間の終わりはもう過ぎていて、カウンセラーさんは、次のように締められました。

今までの価値観をバラバラにしてみる

いったん自分が大事にしてきたことをバラバラにする
信じてきた価値観や“こうあるべきだ”と思ってきたことを「脱価値化」する
そして、今の自分にあった大事なものを、仕分け作業してみる

脱価値化・・・今まで自分が重要だと信じてきた価値観、大事だと言われてきたことなどに対して、「もしかしたら、そうでもないかもしれない」「今の自分にとっては、それは大事に思う必要がなくなっているかもしれない」と、これまでの認識から一旦離れてみて、今の自分にあった価値観に微調整したり、認識を変えてみる。

許せないと思っていた自分を許したらどうなるのか?
今まで「こうあるべき」だと思ってきた価値を、一度解体して価値をなくしたら、新たに何があるのか?どうするのか?

野原に裸で投げ出されたような気分です。

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