私のネガティブ思考や人を避ける態度があまり目に余るため、おおらかで優しい配偶者から、とうとう我慢の限界を示唆されてしまいました。これをきっかけに、本気で自分を変えるためにどうにかしようと思い、友人のすすめからカウンセリングを受けることにしました。
心理療法士の方に、週に1度話を聞いてもらっています。
何のためにカウンセリングを受けているのか
なんとかしようと、いろいろ試みても、なかなか負のループから抜けられず困っていたので、第三者の助けを借りたいと思いました。
生きづらくて困っていること
- 自分に自信がなく、話しかけられたくないので人を避けてしまい、逃げたくなる
- 自分は価値のない人間だと思ってきたので、ほめられても困る(嫌そうな顔をしていると言われる)
- 何があったわけでもないのに、泣くことが止められない(会話にならない)
- 夢や目標が思い浮かばない
- 前向きになろうと何か取り組んでも、実行・継続できない
- 定期的に自己嫌悪に襲われひどく落ち込む
カウンセリングを経てどうなりたいのか
- 自己卑下しない人になりたい
- 明るく前向きな発言ができるようになりたい
- 夢や目標を描けて、毎日楽しく生きれるようになりたい
カウンセリング3回目
良い悪いではなく言葉にしてみるのができなかった
カウンセラーさんが「良い悪いではないので、疑問や感じていることを言葉にしてみたらいい」というようなことを言ってくださいました。私の中では物事は、良い<->悪い、正しい<->間違い、だと思っているところが大きいように思います。
白か黒、ゼロか100か、と極端に考えたり決めつけたりしてきた傾向があります。ただし、自分が完璧主義だとは思ったことはありません。完璧を目指して謙虚にまだまだ自分を高められるはずだ、とは思ってないからです。
「良いか悪いかではない」考え方を持っていないため、間違いたくない、ルールに従い正しいことをしなければ、というのが根底にあり、常に正解を求めているので、正解が分からないと思考が停止している部分があるかもしれません。だから、喋らなければ間違えない、相手に喋らせておいて自分は聞き手になっていれば失敗はない、と考えていました。これがコミュニケーションが苦手だと思っている一因かもしれません。
人に私自身のことを聞かれても、自分が自分のことをよく分かっていないので、焦って逃げたくなるのです。
「どう感じますか?」「何を思っていましたか?」と感情や思いを聞かれても、私は何を言っていいのか分からない、と困ることが多々あります。それらは重要ではないと思ってきたため、言語化がすぐにできません。何も感じていなかったはずはないのでしょうが、それは不必要な情報だと判断していたように思います。
「〜べき」に縛られ働いていた
カウンセラーさんに過去の仕事について聞かれ、9年半勤務した会社員時代の話をしました。
就職氷河期と言われていた時代に就職活動をしていた自分は、履歴書を書いてエントリーしたり面接に行ったりするのに疲れ、一番最初に内定出してくれた会社に「もう就活しなくていい!」という理由で就職しました。
やりたいことがなくて、何をして生きていったらいいのかわからなかったので、とりあえず周りと同じように社会人になりました。
石の上にも3年と言われるように、何もできないのに給料がもらえるのはありがたいことで、仕事とは我慢してでも続けるべきものだ、と信じていました。
- 新卒で就職するべき
- 正社員でいるべき
- 仕事や嫌でも続けるべき
さらに、当時の仕事をするには、あるべき像「社交的で自社製品を愛している社員」を演じないといけないと思っていました。あるべき像が、本来の自分が乖離しており、どう折り合いをつけていいのかわかりませんでした。そのため、私の演じているバージョンしか知らない人に、休日にばったり会ってしまうのが恐ろしく嫌でした。
私の存在なんて人々の記憶からなくなってくれればいい、ずっと思っていました。そんな気持ちで10年近く働いていたので、やめたときには寄せ書きや送別品をもらうのも嫌で仕方なく、申し訳ないですが全て捨てました。
思い込みで思考が硬直していた
自分がどう思っていたか、何を感じたのか、言葉にするのが苦手です。自分の感情の言語化を求められると困ってしまいます。
本来の自分のままでは、社会人として求められる人間に相応しくないから、演じないとやってこれませんでした。
何をしたいのかわからないし、どうしたら生きやすいのかわからず生きていました。