老いる親の末恐ろしさ、繰り返す落ち込みへの対策、人の期待から逃げ出したくなることについて心理士さんに聞いてみました – カウンセリング31

45分のカウンセリングで詰め込んでコトリー臨床心理士さんに聞いてみました カウンセリングを受ける

気になっていることが3つあり、45分のカウンセリングで詰め込んで、臨床心理士さんに聞いてみました。

1つは、円滑なコミュニケーションができない親が老いる末恐ろしさ、2つ目は自分の繰り返す気分の落ち込みについて、3つ目は人に期待されると逃げ出したくなる衝動についてです。

①老いてますます会話が難しくなる父に肝が冷える

父とはこちらから積極的に連絡取らないことで私の感情は落ち着いています。ですが、先日母と電話している時に父がたまたま来たので、挨拶はして、二人に向かって話をしました。ですが、父の反応がゼロで、聞こえているのかいないのかわからない状態でした。

そもそも夜は飲酒後でコミュニケーションは難しいため、そんな時間帯に話しかけた私の判断ミスだったのですが。私は腹が立つというよりは、両親に対し、末恐ろしい感じがしました。ますますコミュニケーションが取れなくなる父と、その人と一緒に暮らさないといけな母親に対し、これでいいのだろうかと冷んやりするものを感じました。

以前、母が、父の耳が遠くなっているため、何度も聞き返されて、声を張り上げないと聞き取ってもらえないから、大声で言うと「なんでそんな言い方をするのか、怒鳴らなくてもいい」と逆ギレされたと、ため息をつきながらうんざりしたように言っていたので、気が遠くなる思いがしています。

これも期待せず受け入れるしかない、ということをもっと理解するのがよいのでしょうか。

カウンセラーさんのことば

  • 老いるということは脳の萎縮である。大体の人は短気になるのが相場。
  • 相手の反応がないというのは、ある意味自由になる部分もあるかも?例えば、家族の暴力に困っていた人が、暴力を振るう人が老い痴呆が入るようになったことで、それまでのように振る舞わなくなってよかった、という人もいる。
  • 父・母、共に老いていくので、両者ともやれなくなることがでてくる。世話をしようとしても限界がある。諦めるようになる。
  • 自分のことで精一杯になる。ある意味「解放」される。
  • 母も老いる。これ以上無理だね、となるかもしれない。

②くり返し落ち込むのが、もしホルモンの影響だとしたら絶望的に感じる

私は、落ちている気分ではない日があっても、また落ちて何も行動を起こせなくてしんどい時がくると想定されます。PMSだなと思うタイミングにひどくなることもありますが、もはやしょっちゅうありすぎてわけわからない感じもあります。

もし、自分の繰り返す落ち込みがホルモンの影響を受けているのだとすると、更年期障害もくるのか、ずっと続くのかと思うと、絶望的な気持ちにもなります。

毎度落ち込んで、自分を責めないためにはどういう心持ちでいたらいいのでしょうか。

カウンセラーさんのことば

  • ホルモンの影響とすると周期的に来る可能性があるため、予測はつく
  • 不安定になるタイミングには、何かするのを控えておこうなど、予測をどううまく活用するか
  • 優先順位を考えられる
  • 怒ってしまい後悔する場合、その怒りを観察する。怒っている最中の自分を今振り返って、何がトリガーだったか?
  • 感情(絶望感、悲しみ)に飲み込まれそうになったら、危険だぞと離れて、これは数日後にはすぎていくものだ〜、と客観視してみる。
  • その感情はなぜ引き起こされたのか振り返ってみる

私:気晴らししてもまた繰り返すし、元は解決しないのでは?

  • 解決してきれいさっぱりなくなるのではなく、薄らいでいくもの。
  • なんで絶望感が出てくるのか、言語化してみたり、分解してみたり、見ていくことで、抱えられるサイズにしていく。

③人からの期待を感じると逃げ出したくなる

期待されてているのを感じると衝動的に逃げ出したくなります。それは仕事でもプライベートでもあります。

例えば、仕事だとクライアントに信頼してもらって「次にこれを頼みたい」と全く新たな内容を依頼されると、喜ぶべきことなのかもしれませんが、私の場合はイヤでイヤで逃げ出したくなります。

プライベートでは、自分に興味を持ってくださった方に「話を聞きたい」と言われると、慌てて自分を下げるようなことを言ってしまいます。期待されないように、変な回答をしてしまいます。逃げ出さない他の対応が取れるようになりたいです。

カウンセラーさんのことば

  • 「期待」をどう捉えているか?

私は、仕事であれば、相手が私にできると思って、良い成果をもたらしてくれるという想定のもと依頼していると考えています。当然、できなければ相手を失望させます。できないことは受けなければいいのですが、“できるけどやりたくないこと”を仕事としてしまっているので、そもそも自分が撒いた種と言えます。ただ今回悩んだのは、依頼された内容が私が一人で完結できない仕事で、クライアントの他第三者が関わるため、責任をより感じて私の不快度がアップしたのだと思います。

プライベートの方では、相手が期待している“聞きたいこと”に答えないといけないと私が思っているため、その期待に応えられないから、相手にがっかりされるのを避けるために逃げたいと思っています。また、質問されることに、端的に答えないといけないという焦りがあります。私は説明が長かったりオチが見えない喋りを繰り広げてしまったりするため、即答ができません。一対一だとまだやりとりをしながら軌道修正しやすいのですが、複数人だと端的に回答できないと相手の時間を無駄にしている感に耐え難く感じるからです。

  • こうでなきゃいけない、というこれらの考えをなんで持つようになったのか?なぜそうした想いを抱くようになったのか?
  • こうでなきゃいけない、というのは選択肢が1択で苦しい。

まとめ

老いるということは脳の萎縮だと理解すると、コミュニケーションの取りづらい父のことも、より諦められる感じがしました。それにより、母にとってはある意味で自由になる、解放される部分があるのかも、というのは興味深かったです。

自分が落ちることについて、理解、納得できていない部分が多いため、ホルモンの影響なのか、抑うつのようなものなのか、自分の考え方が歪んでいるからなのか、ぐるぐるしていました。その複合的なものなのかとは思うのですが。

繰り返すことへどう対処したらいいのか、どう準備したらいいのか、わかっていませんでした。その感情から離れる、客観視すること、言語化すること、分解したり、抱えられるサイズにしていく、すると薄らいでいくかもしれない、意味がわかる気がしました。

他人の期待を察知すると逃げ出したくなることについて。期待をどう捉えているのか?質問されると答えないといけない、端的に答えないといけない、という考えはどこから来たのか?考えてみます。

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