・「家族」の定義は人によって異なる
・「近しい人」の認識は人によって異なる
・腹が立つのは自分が期待していたことが満たされなかったから
ということを心底痛感する出来事ががありました。
分かり合えない人に期待するのは一人相撲、キャッチャーが受け取ってくれない不毛なキャッチボールだなと感じてます。私の父は発達障害(ASDとADHD)と心理士さんに言われていますが、本人はおそらく自覚してません。心理士さんからは、わかってもらえない喪失体験をどう整理していくのか、という話をされました。
親と分かり合えないことを再確認
少し前に父が入院したのですが、10日後に知らされ、それ自体は別にいいのですが、通知のされ方に私は驚いて、怒りと悲しみでちょっと途方にくれました。
その知らされ方とは、多くの人へ送った転送メッセージでした。多くの人とは、スマホのメッセージアプリに入っていた知人たち数十人だったようです。その知人たち数十人に、私も含まれていたのです。
「遠くに住む子どもに心配かけたくなかったんじゃないの」とフツウの感覚の人はおっしゃいますが、いやいやいや、“心配かけたくなかった”なら、こんな伝え方しますかね。
私に突如届き始めたのは、ひたすら他の人に送ったものの転送メッセージ(20個ほど)。私に対する個人的な言葉は全くなし。
親族でも極々身近な友人というわけでもない、大勢の人たちに送った大量メッセージの中の一つが自分だったことに、私は近しい家族だと思ってたけど、同じ認識ではなかったのかと愕然としました。
追い討ちをかけたのは、私の友人から「メッセージきたけど、お父さん大丈夫??」と連絡があり、え?こんな年に1回も会わない私の友人と、実の子である私も、同等の扱いですかーーー・・・・ヒョエー・・・・・・
その驚きを父に(知らせてくれたことに対する感謝、無事生きてたことは嬉しい、今後の回復を信じている、と前置きはした上で←がんばった)私は「コピペ転送メッセージで知らされるのは悲しい」と伝えたところ、返事は、
「そう思って当然、しかし、(いろいろ自分の言いたいことが書かれていて)
個別に50人に説明するのは不能だ」
と来てびっくりしました。私はそんなこと(全員に個別説明)は要求していないのに、本当にわからないんだなと驚き、もう血の気がひいていく感じがしました。
その上に、「(父の)きょうだいには知らせてない」、だけど甥と姪(私のいとこ)そして前述の私の友人には知らせた。と言ってきました。「命がけで知らせることができてよかった」と。私の頭ではハテナがいっぱいです。
とにかく転送メッセージの中に、父の友人の名前や知人のことはたくさん出てきますが、私への個人的なメッセージは皆無、ゼロ、私はどこにも存在しないのです。“その他”なんだな〜と気が遠くなる思いがしました。
皆さんに一斉送信でもなんでもいいと思うのですが、私はせめて家族だと思ってたけど、違ったようで、悲しかった、と、もう一度伝えてみたのですが、
「甘んじて受け取ります
必死に対応した
それ以上は無理」
と返事が来たので、私がボールを投げてもキャッチャーに受け取ってもらえず、私がまた自分で走ってボールを拾いに行くような不毛なキャッチボールをしているようで、絶望したので、もうメッセージをするのは諦めました。父からも何もこなくなりました。
転送メッセージの中から感じた奇妙さ
一方的なコピペ転送メッセージから、奇妙に感じた二つの父の傾向があります。
一つは、父が主導・参加していた活動の数々を「妻が(自分に替わってやる)覚悟ができた」と書いてあったことです。え?それ本当に、母がそうしたいって言った???また勝手に自分で思い上がって言ってるだけじゃない?と私は引っかかりました。
父は母の言葉、意見や思いを聞くことは私はほとんど見たことがありません。一方的です。そのため、この文言を見た時、押しつけられてるのではと母のことが心配になりました。
もう一つは、愛着のある人物への執着です。この度、入院する前、体調はどんどん悪くなってきている父を見て、母は近くの町医者に行くように言ったのですが、自分の愛着のある医師に見てもらうのだと言い張り、すぐに近所の病院へは行かなかったそうです。その、愛着のある医師は、新幹線で行くほど遠い距離です。
さらに状態が悪化したため、その愛着のある医師から、近所の病院へすぐ行け、と言われてようやく行ったのです。自分が命の危険があるほどしんどいのに、それでも特定の人物にこだわる執着。奇妙です。
二つとも、最も身近にいる理解者であり、助言してくれている母の言葉は聞いてくれないんだな、と今書いてて思いました。血の気がひきます。
心理士さんに以前言われていた言葉がその通りすぎた
以前、心理士さんに質問したことを思い出しました。私が黙って我慢するばかりでは裸の王様である父の独壇場になるから、私が伝えたいことを言ってもいいか?というような質問した時に、
言っても期待するような反応は来ないかもしれないこと、また自分が傷つくかもしれないことを理解した上で伝えてみるのはいいのでは?と言われました。
期待するような反応はない、そしてまた自分が傷つく、まさにその通りでした。私がアホでした。
言ったら分かってくれる、私の痛みに気づいてくれると思ってメッセージしてたんだなと、そして打ちのめされたのだなと、わかりました。話せば分かり合えることばかりではないですね。わからない人にはわからない。
と、なると、分からせたい、腹が立つ、とおもう私の一人相撲は、もう諦めるしかないのでしょうか?また我慢?
母の反応
ちなみに、私には一切知らせてくれなかったという意味では母も同じですが、私が転送メッセージで知らされたことを母に告げると、「それは申し訳なかった」と謝られました。
母は父に、娘に連絡はした?と聞いたそうなのですが、いつも通りの嫌そうな反応をされたので、放っておいたそうです。その後、父は知人たちに大量メッセージを送りその中に娘が含まれていた、というのは母は知らなかったそうで「悪いことをした」と謝られました。
私の相方は「入院を黙ってた期間に、何度も私たちと電話で話していたのに、何も言ってくれなかったなんて、お母さんもひどくない?」ガッカリだ、と言ってました。母は父の裸の王様感に諦めているので、私は母を責める気にはなれませんでした。むしろ共感してくれたことでホッとしました。
しかし私の相方は「あなたは娘だし知らされるに値する。その他大勢より優先されるべきだ」と言っていたので、あ〜その主張なんか個人の権利大事な西洋っぽい〜、なんてちょっと思って、「もういいんだよ。お母さんの対応もわかるから」と返しました。
母はカサンドラ症候群と心理士さんから以前教えてもらい、腹落ちしているので、もういいのです。
心理士さんの言葉
上記の話をカウンセラー(臨床心理士)さんに聞いてもらい、コメントされたことは、
●ASD的な傾向(家族に共感を示さない)と多動的な傾向(いろんなことを考えているのでいっぱいいっぱいになる)で、娘への連絡を優先ではなく、知人全員に一括で一斉に知らせるという行動を取ったのかなと想像する
●私たちフツウの感覚では、自分の家族が近い人で、友人やそのほかの人々と親密さの距離感には段階がありますが、もしかしたら父にとってはそういうカテゴリーはないのかも
●父にとっては家族でも、「人」という枠の中では友人・知人と同じ距離感なのかも
●執着は、物や愛情対象に対する架空のやりとりが子どもの頃から形成されてきたのかも(父の子供の頃はどういう家族の関係だったのか→今の価値観につながっているかも)
●私は、父親とのつながりを求めているのに、つながれない→自分の存在価値に関わる
●なんとかわかってもらおうとするのに、わかってもらえないことは喪失体験となる→それを自分の中でどう整理していくのか
カウンセリング後の感想
父の認識がどうであれ、父と分かり合えないと自分が感じていることは、結局私が勝手に期待してガッカリしているだけ、ということに尽きるわけで。もう全く求めない、つらくなるので自分から関わりは持たないという選択もできるし(そうしてきましたが)、他の人に分散して求める(その他の家族や親族、友人、知人など)ことで、紛らわせられるのかなとも思いました(これはnew)。
親が自分の親であることは事実ですが、だからといって分かり合えるとは全くもって限らないわけで。たまたま自分の親であるその人と分かり合えないことも、仲良くなれないことも多くの人があるわけで、生まれた時から親がいない人や、極端な例ですが犯罪行為の中で生まれた子供など、みんなそれなりに自分で解釈して生きているのですから。
そう考えると、この人と分かり合えないと「私が悲しい」と思う必要もないというか、今まで私が努力すればいつか望むような意思疎通ができるかも?と求めていた分、幻滅は大いにあるにせよ、それは珍しいことではない、アルアルだ、と言えるかなと思いました。