「人は死ぬんだ」と子どもに教える&「全ては苦である」の話 -カウンセリング51

人間は死ぬ カウンセリングを受ける

臨床心理士さんが教えてくれた、こどもに最初に「人は死ぬんだ」と教える話が興味深かったので、メモっておきます。

子どもにまず「人間は死ぬんだ」ということを教える

人間は死ぬんだと教える

私がお世話になっている臨床心理士さんが、知人の話として教えてくださったことです。その方は、子どもに何かを教える前に、まず「人間は死ぬんだ」ということを教えるのだそうです。それは仏教の教えから来る考えだそう。

私は、この話を聞いてナイスな教育だなー、「人は死ぬんだ」ということを教えておいて欲しかったなと思いした。

子どもの頃には、自分は時間が無限に感じましたし、やり直せばいい、もう一度できる、また会える、と、なんでも回復できると思っていました。でも、そうではない、死ぬ、終わりがある、取り戻せないことがある、と知っていたら、違う考え方をしたのではないか、違う決断をしてきたのではないかと、そのエピソードを聴いて思いました。

全ては苦である

最近読んだインド仏教の本に、「全ては苦である、存在しているものは無くなってしまう、一切の物事は実体がない」という思想がありました。それはしょうがないな、と説得力があるように感じました。信仰心はない自分ですが、考え方の一つとして面白く思いました。

人によっては、「全てが苦」って、残念な響きに感じるかもしれませんが、私にとっては、Life is beautiful とか、Be positive!とか言われるよりも、もっと納得のいく言葉に思えました。苦から解放されるのは死(または悟り)であり、欲望や執着が苦を生むというのは、なるほど、と。

カウンセラーさんが度々おっしゃってくださっていた、「手放す」ということは、そういうことなのかなと。我慢や諦めとは違い、事実を受け入れて手放すということなのかなと、考えました。現状を受け入れる・諦める・手放すというような。

体調が悪いのも仕方ない

全てが苦である、欲望が苦を生むという話に関連して、最近の体調が悪かったことから思っていることを話しました。

ここ数年ある、謎のピンポイントな激痛があるのですが、何度病院に行って諸々検査してもらっても、異常なしの一点張りで、病名もなければ治療法もない状態が続いてます。助けを求めても何も助けてもらえない、の繰り返しでゲンナリしてました。

痛み止めを飲む以外なく、それでやり過ごしてきたものの、先日痛み止めを飲んでも効かない激痛の大波がきて、夜中に救急に駆け込みました。それでもやっぱり異常なしで、何もわからず、痛み止めの点滴を打たれて終了。

前述の全てが苦である、欲望が苦を生むという話を思い出して、全てが苦なんだからしょうがないか。人に助けてもらおうという欲望があるから、余計につらいのねー。他人に期待する(欲望)からいけないわけで、自分でどうにかするしかないのねー。となんか腹落ちしたのかよくわかりませんが、考えてます。

この話をした時、カウンセラーさんの表情が「うーん」という顔だったので、私の解釈はまた極端だよ、と言いたかったのかもしれません。極端で、認知が歪んでますから、私。

「求めてもどうにもならないことを受け入れようとしているのかなと想像しました」とカウンセラーさん。そうかもしれません。そうだと思います。

まとめ

「人間は死ぬんだ」と子どもに教えるのは、いいな、と思いました。自分が子どもの頃、根拠のない有能感が感があったり、限りがある事を理解していなかったので、知ってたらものの見方が違ったんじゃないかなと思いました。

求めることは欲望であり、思うようにならない現実は、苦を生むから、全ては苦であるというデフォルトはしっくり納得できる、という話をしました。

自分の不調の原因を見つけて解決してくれない医療に不満を思ったところで仕方がない、ということも受け入れて、できる事を自分でするしかないよね、と思った話もしました。

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