禅語「一体一如」とは?うまくいかない理由は当たり前ができていないから

禅語「一体一如」ひとつになって行動する

禅語の一体一如とは?

一体一如できていない状態とは、他と比べて羨んだり、悔やんだり、言い訳したりしている状態です。

当たり前のこと(一体一如)ができていない、できていないから、うまくいっていないのです。

一体一如を自分にどう活かせば良いのか、考えてみたいと思います。

一体一如(いったいいちにょ)とは

一体とは:対象のもの(モノ、コト、人)とひとつになること
一如とは:ひとつになった状態で行動すること

自分の我(エゴ)を捨てて「対象とひとつになり行動すること」だそうです。

役者が、自分では無い人物の役に成り切っている状態は一体一如です。役とひとつになれていると、見ている私たちもその役者が本当にそういう人みたいに感じて、その劇に没入できます。

一体一如になれていない状態

「鳥はカゴの中にいてはいけない。」行動を伴わないと一体一如ではありません。鳥は自由に飛び回っている状態が鳥のあるべき姿であり、その状態が一体一如となります。カゴの中で生きることは不自然な状態であり、鳥としての本質を最大限に活かすことはできません。

あるべき姿で行動する、という意味に読み取れます。

一体一如を仕事にあてはめるとどういう状態でしょうか?

仕事の一体一如とは

お客様目線で、お客様の代わりに求めるものを先回りして提供する、つまり、言われた事をやっているだけの状態は、受け身で声が上がったニーズに反応しているだけという状態です。

誰でも見える顕在化しているニーズに対応するだけでなく、潜在ニーズをお客様と一体になる事で見つけて、言われる前にお役に立つ(=一如)。

お客さんがいない、買ってくれない、分かってもらえない、無いものに執着している状態はいったい一如できていません。

無いものを探そうとするのではなく、今ある物と共に動く。言い訳をせず、今できることをやるということだと考えます。

・社員と一体一如
・商品と一体一如
・お客様と一体一如

商品には口がないから、自分が商品と一体になり、代わりに魅力を伝える。

社員と一体になり、比べたり嫉妬や足の引っ張り合いなどせず、同じ目的を達成するために一如する。

お客様と一体になり、されたら嬉しいこと、喜ばれることをする。

一体一如を自分にどう活かすか

一体一如の反対は相対「他との関係において成り立つ」になるので、他と比べたりしている状態です。

私はよく、自分のことを周りと比較して恥ずかしいと思ってしまいます。自分の経歴、能力、外見、収入、無い物ねだりばかりしています。

他の人や物と比較していると、自分にはないモノやできない事、あって欲しいのにそうでない状態などばかりが目につきます。相対で考えるのでなく、一体一如で考える、というのはすなわち絶対的な考え方をするというということになります。

絶対的とは「他の何物とも比べようもない状態・存在であるさま。」です。

「こうじゃなかったらいいのに…」「もっと●●だったらいいのに…」というこだわりを捨てて、今の状態をあるがままに受け止めて、自分のあるべき姿と一体となって行動をしていくことが一体一如、だと理解しました。なりきって、やりきる。

つい、ラクな近道はないかと無いモノを妄想してしまったり、過去へのこだわり・やり方にとらわれたり、言い訳をしたり、自分をよく見せようとしたり…現状をあるがままに受け止めて、愚直にできることをしていく。分かっているようで、実際できているかと言うと、邪念にまみれてできていません。

何かうまくいかない時、前進できていない時は、一体一如になれているか?今の自分のモノの見方は相対になっていないか?確認したいと思います。

自我を取り除いて、なりきって、やりきる。

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