禅語、道元禅師の「万法に証せらるる(まんぽうにしょうせらるる)」の意味を理解して、そこからの学びを自分の日々の生活に取り入れていきましょう。
坐禅会で先生から解説していただいた教えを、自分なりの解釈でまとめました。
禅語「万法に証せらるる」の意味
万法とは
万法とは、全てのモノ、コトを表します。周りの物も、自然も人間も、全てのことが万法です。森羅万象と同意と言えるのではないでしょうか。
今起こっている状況も万法です。不景気や失業、ウイルスが存在し感染症ある状況も万法です。イヤだと言ってもそれは事実であり、万法なのです。
証せらるるとは
「証せらるる」は証明されるという意味です。
全てのモノやコトから、バックアップされるようになるという意味になります。
周りから助けられたり、喜ばれたり、認められたりすることも証せらるると言えると考えます。
万法に証せらるるためには
バックアップされるようになるためには、心身脱落(しんじんだつらく)することが必要です。つまり、目先のことで比較したり、損得を考えるような、「私が私が」という小さな自我は忘れると、周りに証せらるるようになるということです。
万法に証せらるるためには、素直に謙虚になって、心身脱落して無になると、周りからの情報や良いお知らせを受けられるようになるのです。
自然は全てが助け合って生きています。個で生きているものは無いのです。人間、私たちも自然の原理原則に従うのです。
「万法に証せらるる」からの学べること
邪念を取り払って、無になって、あるがままを受け入れることで、それまでは自己が頭に噛み付いて見えなかった現実が、自然に見えてくると思います。
心身脱落できていない時には周りの人からの言葉を聞いても、「わかってるし」「でもそれは無理」「だってできないし」など、否定する言葉が出てきてしまいます。
自分の固執した視点でしか物が見えておらず、違う視点で見る、素直に人の話を聞いてみる実行してみることができない状態です。
これでは万法に証せらるることはありません。
全てのモノ、起こっている事は、好む好まざるとも変えることはできません。そして自分はその万法のなかの一部です。万法の中で生かされているのです。
万法、あるがままの現実を受け入れることは、変化に対応していくことです。過去にこだわらず、今ここでできることをしていくのです。
「万法に証せらるる」の活かし方
自分が無になれると、素直に全てが受け入れられるようになります。
あるがままの環境=万法を感じながら、こだわりを捨てて心身脱落することで、コトに尽くすことができるようになります。迷った時は自我を忘れるために、坐禅をして無になるのです。
「でも・だって」「知ってます・わかってます」は禁句です。
悩みや迷いを考えるのではなく、自己を忘れる、素直になると、今ここでできることが見えてきて、コトに尽すことができるようになるということだと考えます。
行動をすると脳に伝わり、心が整うのです。頭で考え続けるのではなく、行動をして脳に指令を与え、身を整え心を整えるのです。心が先ではなく身体が先です。
ありのままを受け入れ、自分をよく見せようとせず、素直になる。分からないことを気づく認める。そうするとこだわりが抜け、分からないこと、できないことに対して、人に聞くなり調べるなり、素直に行動が起こせるようになるのではないでしょうか。
自分を忘れると、ミッションが見えてくる、目的をしっかり生きれるようになるのです。そうやって行動していると、周りに助けてもらえたり、かわいがってもらえたり、喜んでもらえたり。助け合って生きていくことができるようになると考えました。